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四十にして惑いまくりの人は絶対読むべし!「論語」孔子の教え

2017/01/10

こんにちは!

ずいぶん前に読んだ「論語」ですけど、

久しぶりに読んでみると、

また以前とは違った気づきがあって感動しました。

そんなわけで、

今回は孔子と論語について書いてみたいと思います。

「論語」は色んな出版社で色んな形で発売されていますが、

おっさんが読みやすいと思うのはこの本です。

良かったらみなさんもどうぞ。

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孔子とは

孔子って名前?

孔子は尊称で日本風に言うならば、孔先生の意味です。

氏(し)は孔、諱(いみな)は丘、字(あざな)は仲尼。

ちょっとややこしいですけど、

たぶん誰でも知ってる有名人の諸葛孔明でいうなら、

氏は諸葛、諱は亮、字は孔明、

諱は子供の頃につけられる本当の名前、

字は大人になってから自分でつける名前。

諱と字は同時に使われることはなく、

昔良くあった諸葛亮孔明という言い方はあり得ない。

また、諱は例えば主君の様な偉い人が目下の人の名を呼ぶときにはありますが、

みだりに使うものではありません。

だから諸葛亮の様に呼ぶのはその主君、劉玄徳くらいで

一般的には諸葛孔明と呼びます。

ですから、孔子の一般名は孔仲尼です。

いつの時代の人なの?

孔子は中国の春秋戦国時代の人です。

周時代の後、

始皇帝で有名な秦の前の時代です。

キングダムっていう漫画の時代です。

儒教とは

この頃の中国では様々な思想や思想家たちが生まれ、

諸子百家(しょしひゃっか)と呼ばれます。

孔子は魯(ろ)の国の生まれで、

周時代末は実力主義が横行し

それまでの氏族共同体中心の秩序が崩壊しつつあるときでした。

孔子の教えは周初期へ復古的な教えで、支配者の徳を重視した思想です。

孔子と孔子の弟子は諸子百家の中で中心的だった儒教の教団を作り、

孔子の教えは彼の死後「論語」にまとめられました。

 

論語(ろんご)

子曰の意味

論語は孔子の教えを彼の死後、弟子たちがまとめたものです。

ですから、「子曰(しいわく)」先生がこうおっしゃったと書かれているのです。

 

別名:円珠教(えんじゅきょう)

論語は別名、円珠教(えんじゅきょう)とも呼ばれ、

中国後漢時代のの学者、鄭 玄(ていげん)は、

”鏡はいくら大きくても一面しか照らし出さないが、

珠(玉)は一寸四方の小さいものでも上下四方を照らすものであり、

諸家の学説は鏡の如きもので一面しか照らさないが、

論語は正に円通極まりない”と評しています。

参考:wikipedia 2016.12.1

論語の構成

論語は全20篇、512の短文で構成されています。

平均すると1篇あたり25.6ずつになります。

 

孔子の教え(名言・格言)

知らざるを知らずと為す、是知るなり

訳)知っていることは知っているとし、知らないことは正直に知らないとする。これが本当の知るという意味だ。

ふと思い出したんだけど、

西尾維新の「化物語」の作中で阿良々木が、

羽川に言います「お前は何でも知っているな」

羽川は決まってこう言います「何でもは知らないわよ。知っていることだけ」

原点はこれだったのかな。

 

剛・毅・木・訥は仁に近し

訳)剛(物欲に左右されないこと)、毅(志がしっかりとして勇敢であること)、木(素朴で飾り気のないこと)、訥(頭では理解しているのだが、うまく言い表せない、口下手)。これらは仁に近い。

仁は儒教では最も大切な要素。

思いやりとも言われますが、

この言葉からは単なる思いやりのことではないと分かります。

きっと宮沢賢治の「雨にも負けず」の詩に出てくるような人だろう。

ちなみには”とつ”と読む。

 

学は及ばざるが如くせよ。猶之を失わんことを恐れよ

訳)学問は自分はまだ十分でないという気持ちでせよ。また、学んだことは失わないようにせよ。

性格的に驕らずに学び続ける姿勢は持ち続けられそうだけど、

学んだことは割と忘れてしまうおっさんです。

定期的に復習しろっていうことですね。

 

五常(五徳)とは

五常(五徳)とは、儒教で重視される5つの徳のことです。

仁(じん)

人を思いやること。孔子は、仁をもって最高の道徳であるとしており、日常生活から遠いものではないが、一方では容易に到達できぬものとした。

『論語』では、さまざまな説明がなされている。ある場合は「人を愛すること」と説明し、顔回の質問に対しては、「克己復礼」すなわち「己に克ちて礼を復むを仁と為す(私心を克服して礼を重んじること。それが仁である)と答えている。前者は外部に対する行為を指し、後者すなわち顔回に対する答えは自身の内なる修養のあり方を指している。具体的な心構えとしては、「己れの欲せざるところ、これを人に施すなかれ」(『論語』顔淵篇、黄金律)がよく知られている。すなわち、「仁」とは、思いやりの心で万人を愛し、利己的な欲望を抑えて礼儀をとりおこなうことである。

義(ぎ)

利欲にとらわれず、なすべきことをすること。正義。中国思想においては、常に「利」と対比される概念である。

礼(れい)

「仁」を具体的な行動として表したもの。もともとは宗教儀礼でのタブーや伝統的な習慣・制度を意味していた。のちに上下関係で守るべきことを意味するようになった。儒者のなかでも、性悪説の立場に立った荀子は特に「礼」を重視した。

智(ち)

道理をよく知り得ている人。知識豊富な人。

信(しん)

友情に厚く、言明をたがえないこと、真実を告げること、約束を守ること、誠実であること。孟子の四端説における「仁義礼智」の四徳に対し、前漢の董仲舒は五行説にもとづいて「信」を加えた。

出典:wikipedia 2016.12.1

日本人なら、意味は分からなくともなんとなく聞いたことがあるのではないでしょうか?

五徳をベースにした八徳は、

南総里見八犬伝で出てきた珠に書かれていた文字と同じです。

南総里見八犬伝は水滸伝に影響を受けており、

水滸伝は儒教的風刺の側面があるといいます。

 

儒家と法家

諸子百家の中でも中心的だったという儒家だが、

本家中国ではイマイチ不遇でした。

それもそのはず、

戦争による王朝交代を繰り返していた中国の為政者には

あまり都合のよくない思想ですもの。

儒家に対立的だった「法家」の思想の方を、

秦の始皇帝はじめ多くの為政者が取り入れたようです。

近代でも毛沢東は孔子の思想に批判的で、

文化大革命で多くの孔子廟が破壊されたといいます。

しかし、統一した王朝の平和が長く続くように、

儒家の思想を取り入れるべきだったのではないかと思えますよね。

一応前漢末から後漢始めくらいの武帝の時代に

五経博士が設置されると儒教が官学化ようです。

 

まとめ

孔子とその教えについての記事でした。

なんか今までになく硬い記事になってしまったので、

最後にこのようなものをご紹介してみたいと思います。

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知っている人は知っている。

知らない人は知らない。

知らない人にはぜひ読んで欲しい。

きっと半分くらいの人は読んだことを後悔しそうな漫画だけど。

最後まで読んでいただきありがとうございます。

では、また!

 

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